北海道弾丸旅行の記録と記憶(2022/9/15〜20)・0~1日目
いつまでも追悼文がトップ記事にあるのもなーというのと、流石にそろそろ纏めとかないと忘れそうなんで。
2022年の秋、北海道に行ってきました。およその旅程と、全体の費用感みたいなもんを備忘録的に残しておきます。
●発端
当方は九州生まれで、人生の大半を九州の島内で過ごしている身。ということで北海道とは縁遠い生活を送っており、これまでの訪問は札幌・小樽1泊2日という団体弾丸旅行の2回だけだった。その2回目すら、既に6年くらい前の話で。
頭のどこかに「これで『北海道行きました!』とは言えんよなぁ」という思いはあった。
ただ自分の場合「目的なしに遠出する」ってのが出来なくて、その代わり「目的のためなら移動距離は問わない」厄介な性分で。だから何かきっかけ(例えばスポーツイベントでもライブイベントでも何かの展覧会でも)があって、日程を確保できれば行けるんだけどなー、ぐらいの感じで、ずっと延び延びになってた。
そんな中でコロナの世界になり、なかなか遠出するのが憚られる風潮になって。
何より俺の「遠出する理由」たりえるイベントの類が軒並み延期や中止になったこともあり、地元で引きこもりがちになってた。
気晴らしに、YouTubeで旅行動画を観ることが増えた。
そんな中で観てたのが、旅行系YouTubeのしげ旅さんと、
交通系YouTuberにっこーけんさんの北海道旅動画だった。
前者は「旅先で食って飲んで」がメイン。後者は移動記録に特化しつつも、道中の車窓から導き出される毒舌交じりの情報の洪水が心地よく。
どちらも「俺にはこういう旅は出来んだろうけど、楽しいだろーなぁ」と思いながら最後まで観てた。これが2022年春ごろまでの話。
北海道行きを具体的に考えるきっかけになったのは、22年7月のこのニュース。
「キハ281系」10月ラストランへ JR北海道初の気動車特急「スーパー北斗」で活躍 28年の歴史に幕 | 乗りものニュース
石北本線「キハ183系」が今年度引退へ 国鉄時代から活躍 元「おおぞら」キハ283系が運用復活! | 乗りものニュース
あぁJR北海道のディーゼル特急車両、一度も乗らんまま消えるんかーと思った時。
「なら乗りに行けばよくね?」と、頭のどこかで声が聞こえた気がした。
つまるところ「キハ281系北斗に乗る」「キハ183系オホーツクに乗る」を目的として、まずは旅程を考えてみようと思い至ったわけです。
7/14の日記では「無理やろ」と書いてたんだけど、書店で紙の時刻表を買ってきて(こういう時はwebの乗換案内より自己条件での検索がしやすいという鉄オタ気質)、いろいろと計画を練り倒すことに。
キハ281北斗の営業運転は9月まで。ならば9月の連休を組み込んで、夏休みを1月ずらせば連続5日の休みは確保できそう。1日目に函館着いて、2日目に281北斗で札幌移動して、3日間に183オホーツクで網走行って…と、次第に旅程が決まっていく。ついでだから旭川から始発で稚内行って、宗谷岬まで回ってしまうかーと計画が止まらない。
続いて、計画に合わせた飛行機を検索。うん取れる。宿泊予定地の宿も検索。うん取れる。
「…行けるな。なら行くか」
そんな感じで、あっさりと旅行の予定が決まったのでありました。
●準備
飛行機は往路が福岡→羽田、羽田→函館の乗継便。この行程で、乗り継ぎ割引適用で片道33,000円くらい。
復路は新千歳から福岡への直行便。こちらは31,000円くらい。
宿はどこも1泊1万以下に抑えようとしたけど、連休中の土曜に当たった旭川だけ空きがなく、1.4万くらいになった。それでも平均すれば1泊1万で収まるくらい。
現地での移動は、JRに関しては通年発行の周遊パスがあるんで、それを使うつもりだった。
7日間有効のぶん、ちょい無駄が多く出るけど、それでも普通に買うより遥かに安い。
ただ出発直前になって、神の如き格安きっぷの再販がアナウンスされたため、実際はそちらを使うことにした。
有効期間が購入翌日から6日間で、特急も乗れて、値段は破格の12,000円。サンキュー北海道庁(半額補助してくれてる)。
あとは現地移動のバスだと、現金か交通系ICを使うことになる。よほどのことがない限り、タクシーは乗らない方向で。
食事に関しては、今回は駅弁やセコマでいーやと割り切った。基本的に朝から晩まで移動しまくるので。ゆっくりできるのは最初の函館くらいしかないんですよ。
手荷物も、普段使ってるバックパックとショルダーバックの計2つに抑えたい。
季節的には初秋だから、まだそれほど厚着の必要はないだろうと判断。都合4泊5日ということで、下着類は着ていく分も合わせて3日分、宿のランドリーで洗濯すれば充分回せる。羽織るものはちょうどゆかりんSounDropsツアーのパーカーがあったんでこれを。
衣類以外の手荷物はノートPCとモバイル機器関連。デジカメはiPhoneで足りる。体温計に、マスクは予備含めて10枚ほど。経口薬は龍角散ダイレクトと鼻炎カプセルくらい。アメニティ類は基本的に宿備え付けのを使うことにして、電気シェーバーなど最低限に抑えた。土産は帰りにまとめて…でも函館限定の土産はちょっと買わんとなぁ。
ナイロン製の折り畳めるバッグを2つ。これは買い物や洗濯物をランドリーに持って行くときに使う。
そんな感じで、旅程と荷造りの準備は完了。出発当日を迎えることになる。
●1日目(福岡→羽田→函館)
出発地の福岡空港に着いたのは、朝の8時半ちょい前。この時間に着くバスに乗らないと飛行機に間に合わんのよね。連絡バスがコロナで減便されてるんで。
軽くメシった 手荷物検査抜けるー pic.twitter.com/7DUG7YzEQe
— 多楠@2/27横浜ゆかりん (@ta_c_s) 2022年9月15日
朝食は空港のフードコートで天ぷらそばといなり寿司。メシの後は手荷物検査を抜けて、搭乗口前で案内を待った。
福岡発羽田行き ANA246便(FUK 10:10→HND 11:50)
乗継便で時間も余裕あるし、あんま焦って降機する必要もないなーと思い、窓側の席を取ってた。普段は機内中央の通路側、可能な限り前寄りの席を取っております。
ほぼ定刻に羽田着。第2ターミナルの北端に降り立って、乗り継ぎの函館行きは…と調べたら南端の搭乗口から出発。
第2ターミナルの端から端まで歩いたわ pic.twitter.com/LTCEVSjM7l
— 多楠@2/27横浜ゆかりん (@ta_c_s) 2022年9月15日
通路の途中、乗り継ぎカウンターで手続して到着階から出発階へフロアを移動。これも久々だなー。
動く歩道を使いつつ、歩いていく途中で弁当を調達。搭乗口近くの自販機で飲み物を買い、ベンチに座って昼メシ。
せっかく羽田に寄ったんで羽田らしい昼メシを( ) pic.twitter.com/mf7PdpQopp
— 多楠@2/27横浜ゆかりん (@ta_c_s) 2022年9月15日
「羽田名物の空弁」って売店に書いてあったんで間違いない(確信)。
羽田発函館行き ANA555便(HND 13:05→HKD 14:25)
機材整備の遅れかなんかで、15分くらい遅れての出発。ここでも窓側の席を取った。
機内からは遠方に富士山を観たり。
機内からは竜飛岬も見えた。このへんからは着陸態勢に入ってて、だいぶ低いところを飛んでいって。
立待岬や函館山、五稜郭タワーなど、この後行きたい場所も上空から眺めつつ。
20分遅れくらいで函館空港に到着。
遅れたおかげで、逆に路線バス(15時発)にはちょうどいい時間になった。直行バスはちょい割高なのと交通系IC使えないのがねー。
周辺の団地や湯の川温泉街、競馬場や競輪場の前(海側)を通りながら、40分ほどで函館駅へ到着。ちなみに直行バスだと30分かからないくらい、らしい。
まずは券売機で、明日からの脚となる企画きっぷを無事購入。
★印がひとつ付いてますが、この時点で翌日乗る北斗の指定席券を確保しておりました。これで札幌までの旅程は確定。
既にチェックイン可能な時間だったんで、駅近くのホテルルートイングランティアへ。
[公式サイト]ルートイン グランティア函館駅前 - 北海道函館市の観光・ビジネスにご利用いただける多目的ホテル
今回、主目的が「移動」だったんで、なるべく駅近くの宿にしたかったんよね。
しばらく宿で休んで、夕暮れを待って、函館山へ移動開始。やっぱ夜景は見とかないと。
十字街の電停で降りると、かつて信号の操作に使われていた操車塔が建っております。停留所から坂道を10分ほど歩きまして。
ロープウェイ往復券を購入。これがWAON支払いできたのはちょっと驚いた。イオン商業圏なんやな。
夕暮れの中を昇っていきます。
ロープウェイを降りてすぐ横の広場からの眺めがこれ。更にもう一段上がって。
展望台からの眺めがこれ。あぁ写真より絶対現地の方が良いですわここは。
ちなみに風景観るだけなら、山頂展望台にスタジオのあるコミュニティFM局がライブカメラを設置しており、天気のいい日はなかなかの絶景が観られます。
30分ほど滞在したあと、展望台のお土産ショップでちょっと買い物。旅行初日に買うと荷物が嵩張るのは重々承知してたけど、函館土産を買う時間は取れそうになかったんでなー。
とはいえさすがにこれは買わんかったけど。
そうそう函館山の標高はな阪関無メートルなんよな。
1時間ほどの滞在で、麓まで下りてきた。ここから坂を下って、徒歩で倉庫街方面へ向かい。
函館ビアホールで晩メシ。今夜くらいしか外食する時間取れないんよね。
サッポロクラシックで乾杯。
唐揚げと開拓焼とハイボール。美味かった。ここもWAONで支払いできた。
最寄り電停から函館駅前まで戻り、駅近くのセブンイレブンで飲み物を買い込んで宿へ帰還。21時からは部屋飲みしつつミリラジと乙女モードを聴いた。旅先でも聴けるのはネットラジオとRadikoの利点よね。
ラジオ終わって22時半ごろ、最上階の大浴場に入浴。あったまったところで就寝。
2日目は日中に函館観光ののち、札幌まで移動します。
1日目費用まとめ 65,672円
●交通費 46,870円
佐賀→福岡空港(高速バス) 1,200円
福岡空港→羽田空港→函館空港(ANAトランジット) 32,950円
HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス 12,000円
●宿泊費 7,650円
ホテルルートイングランティア函館駅前 早割シングル1泊朝食付き 7,650円
●食費 6,087円
朝メシ(福岡空港) 770円
昼メシ(羽田空港) 860円
晩メシ(函館ビヤホール) 2,948円
飲物(コンビニ等) 1,509円
●観光費 5,065円
函館ロープウェイ(往復) 1,500円
2023年1月26日、旅立った君へ
俺は基本的に人間関係が希薄というか、ゆるく繋がってればいーかぁという感覚が強くて。
積極的に友人を作ろうと自分から動くタイプではなく、アクティブな人に引っ張られて輪の中に入れてもらうことが多い人生を歩んできたなぁと思う。
親の転勤に合わせた転校が多くて、卒アル貰った小学校には6年生の3学期しか通っておらず。
そのまま中学に上がっても「俺以外はみんな顔見知り」状態が続き、そんな中で仲良くなった人とも高校受験で進路が分かれ、徐々に距離ができて。
その後も高校から大学、社会人と、ステップを経るごとに人間関係がリセットされるのが常態で「そーいうもんだよなぁ」という、ちょっと冷めた思いが、どこかにある。
社会人2年目、1998年の秋。自宅のPCからネットへ繋ぐようになって、某新興エロゲーブランドの公式BBSへの出入りを始めた。
最初はやりとりをROMってたけど、とにかく会話の流れが速く(そしてログの保存件数が少なく)、活発なやりとりが面白かった。
そのブランドの開発メンバーが前の会社で制作したゲームの、家庭用移植が決まった件について書き込んだのが、俺の初カキコだった。
…まだ当時はそのブランドでの第一作も出てなかったといえ、別会社の作品なのにな。
関東関西でのオフ会の話題なんかも楽しく見てた。そうすると「九州でもやろうや」的な話になって。
「福岡でやるんだったら、近場だし下見とか付き合うわ」
そんなやりとりを交わしたのが、君と明確な接点が生まれた瞬間だった。
何度かメールでのやりとりを経て、あれは忘れもしない…いやウソ、何日だったかは忘れた。でも時期は覚えてる。99年の2月頃だから、もう24年前か。
博多駅博多口のAMPM前で待ち合わせしてて、まだ時間があったんで雑誌立ち読みしてたら、後ろから。
「…いい作品ですね」
俺が送ったメールに添えてた、ある漫画のセリフで話しかけてきたのが、君だった。
お互いに自己紹介して「俺佐賀なんすよ」「マジか! 鹿児島と佐賀で福岡ロケハンて!」みたいな話をして。
その後もうひとり、福岡の人と合流して、3人で博多と天神をあちこち回った。あの時点でもう楽しくて、本番が待ち遠しくなったのを覚えてる。
九州オフの本番は3月。俺は遅れての参加だったけど、大人数で夜通し遊んで、まぁ楽しかった。大成功だったと思う。
あの頃とは街の様子も変わった。博多口は建て替えで阪急になって当時の面影は跡形もないし、写真を撮った筑紫口のモニュメントも、再整備でなくなった。夜中居座った24時間営業のすかいらーくはガストになり、23時半で閉まるようになった。地下でカラオケやった博多スターレーンは閉館して取り壊された。パーツショップなんかが入ってたZEEX天神は全館がLoftになって、そのLoftもまもなく撤退予定だ。
その後も福岡で、鹿児島で、大阪で、東京で。
そんなに頻繁ではないけど、会って遊んでいろいろと馬鹿もやって(当時SNS拡散とか存在してなくて本当に良かったと心から思う)、本当に楽しかった。
そんな連中の一部とは、友人として今も付き合いが続いてる。
これは君が引き合わせてくれた縁だ。君とも、ずっとそう在り続けると思ってた。
大阪から鹿児島へ戻って、直接の絡みは少なくなったけど、在阪の友人経由で近況を聞いたりして、気に掛けてはいた。
君の体調が思わしくないという話も、以前から耳にしていた。入院も多かったし、治療や手術の話も聞いた。それでも「また会えるだろう」とどこかで思っていた。あるいは、今の君に会うのが、少し怖かったのかもしれない。だって俺の記憶の中の君は、常に元気なんだもの。
そうするうちにコロナ禍の世界になって、特に病人とは気軽に合える状況ではなくなった。
やっぱり会いに行けばよかった、これはひとつの悔い。
もうひとつの悔いは、君を泣かせてしまったこと。
君が大阪を離れたあと、在阪の友人らの間で修復不可能な決裂が起こって。
俺が取ることができたのは「どちらとも縁を切らない。どちらとも付き合うし、どちらの話も聞く」というスタンスだけだった。
その後…あれは福岡で会った時だったか。深夜の居酒屋で飲みながら、その話題になって。
「俺が向こうに残ってたら、ここまで拗れる前に、もっと早く動いて、なんとかできたのになぁ」
そう言って、君は泣いた。
俺は何も言えなかった。俺自身がそこまで能動的に動こうと思わなかったから。やろうと思えば出来たかもしれない。君ほどうまく仕切ることは無理だとしても。
君の言葉と涙で、それを思い知らされた。
そして人間関係はそのままの状態で現在に至り、この日を迎えてしまった。俺のスタンスは変わらないけど、彼らが(偶発的な事故以外で)顔を合わせることは、もうないだろう。
これがもうひとつの悔い。
君の思いがどこにあったのか、真意はわからない。
でも君は、間違いなく俺たちの「ハブ」だった。
俺たちの関係性は緩やかで、脆くて、何かきっかけがあれば壊れかねない危うさを孕んでいて。
そんな俺たちを繋ぎとめてくれたのは、間違いなく君の存在だったと断言できる。君がいなければ俺は彼らと出会うことも、今まで関係が続くこともなかった。
本当にありがとう。君は俺の人生を変えてくれました。
2歳年下の君の在り方は、最期まで、俺の憧れです。
名残り惜しいけど、ひとまず、さようなら。
俺がそっちに行くのは、もうちょっと後になるかな。
その時は、今度はこっちから声をかけるわ。
背後からそっと近づいて、「いい作品ですね」って。
そもそも何を夏に観ていたかなぁ(2022/8/11)
就職してからはお盆なんて関係なくカレンダーどおりの休日になってるし、実家住まいで帰省することもないんで「夏の思い出」的な映像作品となるとどうしても昔の記憶に紐づいたものになってしまう。
子供のころはアニメや特撮の再放送が「夏休み朝のTVの定番」だった。ウルトラマン(だいたいレオまで)や仮面ライダー(だいたいアマゾンまで)はそれで見た記憶がある。タイムボカンシリーズやファーストガンダムも、すべて通しで観たのはその枠だった。あとはじゃりン子チエも何度となく見たな。想い出の映像がそもそも再放送というのがなかなかにアレだけども。
最近はオンデマンドやらサブスクリプションやら、視聴時間の縛りもなく好きな時に好きなものを見られるようになってきてるせいで、新しい「夏といえばこれ」が生まれにくくなってるのかなぁという気もする。
あとは映画くらいか。これは劇場へ足を運んだ記憶と繋がってる感じ。たぶん今後しばらくは夏になると「ゆるキャン△」の映画を思い出すんだろーなぁ。
このところの夏は「この世界の片隅に」のBDを観返しすことが多かった。実際の公開は冬だったけど、夏に観たい作品ではある。クラウドファンディングにも3回出資した思い出。
あとはやっぱり夏エヴァかね。当時劇場でラスト観て、もう笑うしかなかった記憶。
そんな中、忘れられない「夏の映画」が1つありまして。
特に何か大きな事件が起きる訳でもなく、ひょっとしたら退屈に思えるかもしれない。でも「1945年8月8日の長崎」ってそういう平凡な一日だったんだろうし、俺らの生きてる平凡な一日だって、その翌日に何がどうなってるかわからんのだよなぁ…と、そんな思いを強くする映画でありました。
未見の方で気になりましたら、一度は観ておいて損にはならんと思います。