2023年1月26日、旅立った君へ

俺は基本的に人間関係が希薄というか、ゆるく繋がってればいーかぁという感覚が強くて。

積極的に友人を作ろうと自分から動くタイプではなく、アクティブな人に引っ張られて輪の中に入れてもらうことが多い人生を歩んできたなぁと思う。

親の転勤に合わせた転校が多くて、卒アル貰った小学校には6年生の3学期しか通っておらず。

そのまま中学に上がっても「俺以外はみんな顔見知り」状態が続き、そんな中で仲良くなった人とも高校受験で進路が分かれ、徐々に距離ができて。

その後も高校から大学、社会人と、ステップを経るごとに人間関係がリセットされるのが常態で「そーいうもんだよなぁ」という、ちょっと冷めた思いが、どこかにある。

 

社会人2年目、1998年の秋。自宅のPCからネットへ繋ぐようになって、某新興エロゲーブランドの公式BBSへの出入りを始めた。

最初はやりとりをROMってたけど、とにかく会話の流れが速く(そしてログの保存件数が少なく)、活発なやりとりが面白かった。

そのブランドの開発メンバーが前の会社で制作したゲームの、家庭用移植が決まった件について書き込んだのが、俺の初カキコだった。

…まだ当時はそのブランドでの第一作も出てなかったといえ、別会社の作品なのにな。

 

関東関西でのオフ会の話題なんかも楽しく見てた。そうすると「九州でもやろうや」的な話になって。

「福岡でやるんだったら、近場だし下見とか付き合うわ」

そんなやりとりを交わしたのが、君と明確な接点が生まれた瞬間だった。

 

何度かメールでのやりとりを経て、あれは忘れもしない…いやウソ、何日だったかは忘れた。でも時期は覚えてる。99年の2月頃だから、もう24年前か。

博多駅博多口のAMPM前で待ち合わせしてて、まだ時間があったんで雑誌立ち読みしてたら、後ろから。

「…いい作品ですね」

俺が送ったメールに添えてた、ある漫画のセリフで話しかけてきたのが、君だった。

お互いに自己紹介して「俺佐賀なんすよ」「マジか! 鹿児島と佐賀で福岡ロケハンて!」みたいな話をして。

その後もうひとり、福岡の人と合流して、3人で博多と天神をあちこち回った。あの時点でもう楽しくて、本番が待ち遠しくなったのを覚えてる。

 

九州オフの本番は3月。俺は遅れての参加だったけど、大人数で夜通し遊んで、まぁ楽しかった。大成功だったと思う。

あの頃とは街の様子も変わった。博多口は建て替えで阪急になって当時の面影は跡形もないし、写真を撮った筑紫口のモニュメントも、再整備でなくなった。夜中居座った24時間営業のすかいらーくはガストになり、23時半で閉まるようになった。地下でカラオケやった博多スターレーンは閉館して取り壊された。パーツショップなんかが入ってたZEEX天神は全館がLoftになって、そのLoftもまもなく撤退予定だ。

 

その後も福岡で、鹿児島で、大阪で、東京で。

そんなに頻繁ではないけど、会って遊んでいろいろと馬鹿もやって(当時SNS拡散とか存在してなくて本当に良かったと心から思う)、本当に楽しかった。

そんな連中の一部とは、友人として今も付き合いが続いてる。

これは君が引き合わせてくれた縁だ。君とも、ずっとそう在り続けると思ってた。

 

大阪から鹿児島へ戻って、直接の絡みは少なくなったけど、在阪の友人経由で近況を聞いたりして、気に掛けてはいた。

君の体調が思わしくないという話も、以前から耳にしていた。入院も多かったし、治療や手術の話も聞いた。それでも「また会えるだろう」とどこかで思っていた。あるいは、今の君に会うのが、少し怖かったのかもしれない。だって俺の記憶の中の君は、常に元気なんだもの。

 

そうするうちにコロナ禍の世界になって、特に病人とは気軽に合える状況ではなくなった。

やっぱり会いに行けばよかった、これはひとつの悔い。

 

もうひとつの悔いは、君を泣かせてしまったこと。

君が大阪を離れたあと、在阪の友人らの間で修復不可能な決裂が起こって。

俺が取ることができたのは「どちらとも縁を切らない。どちらとも付き合うし、どちらの話も聞く」というスタンスだけだった。

その後…あれは福岡で会った時だったか。深夜の居酒屋で飲みながら、その話題になって。

「俺が向こうに残ってたら、ここまで拗れる前に、もっと早く動いて、なんとかできたのになぁ」

そう言って、君は泣いた。

俺は何も言えなかった。俺自身がそこまで能動的に動こうと思わなかったから。やろうと思えば出来たかもしれない。君ほどうまく仕切ることは無理だとしても。

君の言葉と涙で、それを思い知らされた。

そして人間関係はそのままの状態で現在に至り、この日を迎えてしまった。俺のスタンスは変わらないけど、彼らが(偶発的な事故以外で)顔を合わせることは、もうないだろう。

これがもうひとつの悔い。

 

君の思いがどこにあったのか、真意はわからない。

でも君は、間違いなく俺たちの「ハブ」だった。

俺たちの関係性は緩やかで、脆くて、何かきっかけがあれば壊れかねない危うさを孕んでいて。

そんな俺たちを繋ぎとめてくれたのは、間違いなく君の存在だったと断言できる。君がいなければ俺は彼らと出会うことも、今まで関係が続くこともなかった。

 

本当にありがとう。君は俺の人生を変えてくれました。

2歳年下の君の在り方は、最期まで、俺の憧れです。

 

名残り惜しいけど、ひとまず、さようなら。

俺がそっちに行くのは、もうちょっと後になるかな。

その時は、今度はこっちから声をかけるわ。

背後からそっと近づいて、「いい作品ですね」って。