「この世界の片隅に」を観ての感想を散文的に(6回目まで。また観たら追加する)

自分用メモ

1回目:11月13日(日)キャナルシティ

2回目:12月17日(土)キャナルシティ

3回目:12月29日(木)テアトル新宿

4回目: 1月15日(日)キャナルシティ

5回目: 2月 4日(土)イオンシネマ佐賀大和

6回目: 2月12日(日)109シネマズ佐賀

 

クラウドファンディングに参加して、本当によかったと思った(10,800円コース)。

 

・この映画のクラウドファンディング、リターン(お返し)の中に「チケット」とか「DVD」とかが一切ないのよね。

 すずさんからのお手紙(全4回)と、ファンミーティングの参加権と、スタッフロール後の名前掲載だけ。

 出資者向けの先行上映会とかもあったけど、それも招待じゃなくあくまで自腹。

 「いやこの映画はなんとしても完成させなきゃダメだろ」という想いの結晶。

 

・そういえば、「すずさんからのお手紙」。
 公開前年の夏、秋、冬、春と届いたけど、公開直前の夏は来なかったんよね。
 何でかなぁと、作中の春から夏にかけてすずさんの身に何が起こったかを考えると…あぁ、と思い至る。

 

・冒頭の、鳥瞰の視点から中島本町を描いた映像だけでもう泣いてる。
 登場する繁華街は、現在の平和公園のところ。
 現在はレストハウスになってる大正屋呉服店(すずさんが手すりに寄り掛かって休んでたところ)以外、すべての建物が今は跡形もない。
 そこにあった街は、丸ごとひとつ消えてしまった。

 

・本当に丁寧に、そして膨大な情報量で、当時の「銃後に生きた人たち」の暮らしを描いている。その没入感が半端ない。

 

・そうして作中世界に没入しきったところで描かれる空襲シーンが、本当に怖い。


・作中ではじめて空襲警報が鳴るのは開始から1時間が経ったころ。そして実際に1回目の空襲シーン(ラッパが鳴り響いてから「ここに絵の具があれば」のところ)が描かれるのは、更にその15分くらい後。
 その後も大きく3回(病院を見舞った後防空壕へ、夜間の焼夷弾、鷺が飛ぶのを追いかけて)あるけど、どれも音と光(炎)の表現が凄い。
 

・原作既読だと、その場面の後にどういう展開が待っているのか知っているわけで。
 そして漫画と違って映像作品だから、時間経過とともに容赦なく場面が進行していく。
 「ページをめくる手を止める」ことができない。
 防空壕を出て、二人で手を洗って。
 左手に荷物を持って、右手を繋いで。
 壊れた塀の隙間から、海のほうを見ようとして。
 このへんで「ストップ! この先はアカンッ!」と思っても、映像は、時間は、止まらないんよね。
 ほんのさっき、經子さんと駅で別れるとこのやり取りまで、笑いながら観てたのに。

 

・映画に描かれているのは「北條すず(浦野すず)さんという女性が、いかにこの時代を生きたか」。
 だから「この映画は○○を描いていない」ていう声には「や、それはすずさんの人生じゃないですし」と返すしかない。
 あの時代、本作に描かれてない生き方をした人もいることくらい、当然わかってる。(…よね?<皆さん)

 

・何でこの映画がここまで反響を呼んでるかというと、「太平洋戦争下の日本を描いた戦争映画」というカテゴリの中で、こういう視点の映画がこれまで視界に飛び込み難かったからだろーなぁと思ってる。
 戦時下の銃後の話って、イメージとしてどうしても「火垂るの墓」や「ガラスのうさぎ」なのよね。被害者の悲劇性というか。

 

・本作は「戦争映画」ではあるけど、現代の価値観に寄り添った「反戦争映画」や「抗戦争映画」ではない。
 当時の市井の人が戦争とどう向き合い、どう寄り添ったかを描いた「向戦争映画」「添戦争映画」。

 

・ただ、観終わったあとは「やっぱ戦争ってろくなもんじゃねーなぁ」という感想になると思う。

 

・この映画を観て、俺が思い出したのは、黒木和雄監督の「Tomorrow 明日」って映画。
 戦争下の日本の、普通の一日を描いたお話。
 ただひとつ、普通と違うのは、描かれているのが「1945年8月8日の長崎」という点。
 それが「普通と違う意味を持つ一日」であることを、その日を過ごしていた正にその時の人たちは当然知らないわけで。
 ラストシーン、女学生の見上げた空が、閃光に包まれて、そのままホワイトアウトして終わるんよ。
 初見のときは衝撃やったなぁ。

 

・もうひとつ思い出したのが、吉本直志郎さんの児童文学「青葉学園物語」。
 広島の原爆孤児が共同生活している施設(学園+寮)を舞台にした話なんだけど、初読当時の小学生だった自分が「わかる」子どもたちの風景が、そこにあった。
 「コンスタラチ」と「コンデンセドミルク」の缶詰とかね(本を読んだ人はわかる)

 

・その日を懸命に生きる人たちが、大切なものを失って、それでも飯を食って生きていかなきゃならなくて。
 そうやって生きた人たちの道の先に、今の自分たちがいるのだと。
 この「地続き感」を生んだ作品の作り方、本当に凄いと思った。
 映画館を出て、日常の風景に触れたとき。
 「映画のラスト、灰ヶ峰から見た風景が、ここに繋がっている」と、不意に感じて涙が出る。

 

鴻上尚史さんの「言葉はいつも思いに足りない」という言葉を思い出す。
 この映画を観終わった後の、得も言われぬ自身の感情の揺らぎを、的確に表現する言葉を持たない。
 でもそういう言語化困難な感覚をどうにかして表出しようと奮闘するのが「表現」なのよね。

  

・降り出した雨が止まなくて、日が暮れて夜が更けて夜が明けて、それでも雨は止まなくて。
 だけどそんな中でも腹は減るし生きていかなきゃならないんで、雨の中を工夫して生活して。
 天候不順が続いて、だんだん食べ物がなくなって、生活環境も苦しくなって。
 どうにか暮らしているうちに、雨が嵐や洪水になって、ささやかな楽しみや幸せもそこに飲み込まれ、流されて、失って。
 それでも雨が止む日まで頑張ろうとしていた、ある日。
 「ごめんもう無理。ギブ」
 お国の「えらいヒト」が音をあげたら、雨は止んだ。
 「頑張っていればいずれ雨は止む」と信じて、頑張ってきた。
 頑張ることを、意識的にあるいは無意識に、誰かに強いてきた。
 どこかで、頑張ることをやめていれば、来なかった嵐や洪水も、あったのかもしれない。(家の裏で一人泣き崩れる經子さん…)

 それでも、雨は上がって、腹は減るし生きていかなきゃならないわけで。
 雨の上がった空は、晴れたり曇ったりを繰り返しながら、その空の下で、飯を食って日々を暮らして、なんとか再び大雨に見舞われることなく、現在に続いている。

 

・周囲の客層を観ると、親子連れが目立つ印象。

 といっても「児童生徒とその親」じゃなくて「老父母とその子供」って感じの。

 車椅子のご老人も何人か見かけた。あの方たちの眼に本作はどう写ったんだろか。

 

・この映画との出会いは一生ものだなぁと、改めて思う。